
こんにちは。
最近、日本でも芸能人がネット上での誹謗中傷を原因に自殺してしまうといった残念なニュースがありました。
韓国なんかではもっとこんな話を聞きますし、先進国の中では社会的な問題になっていますね。
これは何もネット上の話だけではなく、リアルの世界にもある話です。
リアルの世界に不満が燻っているからこそ、ネットの匿名性によってそれが顕在化しているわけです。
ネット上では悪いことをしても現時点ではなかなか罰が与えられませんからね。
もしかしたらあなたの周りにもそんな攻撃的な人がいるかもしれません。
威圧的な態度で接してくる人、上から目線の人、他人の悪口を言ってしまう人、、、
彼らが他人を攻撃してしまうのは、精神的自立ができていない上に弱いからです。
自分のことを自分で支えられないから、誰かを攻撃することによって自分を保とうとします。
そしてこれは、多かれ少なかれ現代病ともいえる症状です。
こんな人に出会ってしまった際には、とにかく無視することです。
物理的に距離を空けましょう。
その人がいくらあなたを攻撃してきたとしてもあなたの存在はそのままで完璧です。
なぜなら、攻撃する側というのは自分を支えるために攻撃をしているだけだからです。
決してあなたが「悪い」から攻撃を受けているわけではありません。
そして、そもそも「すごい」を得るために攻撃をしてしまうわけですが、実は他人よりも「すごい」ことに価値なんてありません。
価値なんてみんな一緒です。
自分の価値を求めるよりも、目の前の相手を大切にできてますかって話です。
そんなこともできていないのに「自分ってすごいんだよ」とマウントをとる人があふれているのが現在の日本です。
今日はそんな話をしていきたいと思います。
マウンティングワールド
さて、今日の世の中はマウンティングワールドです。
マウンティングとは要するに、「私の方が上よ」というメッセージを世界に対して発信することです。
現在の日本では、多かれ少なかれ多くの人がマウンティングを無意識に行っています。
なぜなら、今日の世の中は競争原理で回っているからです。
誰が一番すごいのかレースに無意識に参加してしまっているわけです。
例えば就活。
人生100年時代とか、終身雇用は終わったとか、個人の時代だとか散々言われているにも関わらず、いざ就活になると誰もが「大企業」を目指します。
今年の就活人気ランキングだってそんな感じでしたね。
トップ10にランクインしている企業は、軒並み誰もが知っている大企業ばかりです。
私も私大文系学生としてまさにこれを経験してきたわけですが、とにかくみんな大企業を目指します。
もちろんこれは、給料や福利厚生、社会的意義といった面から人気を集めているところもありますが、ほとんどの学生は「大企業」というブランドに引き寄せられています。
とりあえずエントリーシートを書くためにその企業を研究して、一夜漬けで最もらしい理由をこしらえてみんな面接に挑んで行きました。
そして商社や金融、航空や広告といった難関といわれる業界に就職が決まった学生は「すごい」を手に入れます。
大学受験も同じです。
偏差値の高い大学に行くと自慢できるし自尊心を保つこともできる。
だから、みんななるべく偏差値の高い大学を目指していました。
この大学でしか学べないことを学ぶためにとか、この先生の元で勉強したいなんていう受験生はほとんどいません。
「すごい」を自分に装備するために誰もが努力します。
そしてこれに成功した受験生は「すごい」を手に入れます。
つまり、みんな「すごい」人になりたいわけです。
他の人よりもなんらかの分野において秀でている自分でいることによって自尊心を保ちたいわけです。
企業、学歴、趣味、ルックス、、、世間で評価されている分野において「上」であることは何物にも変えられない喜びを私たちにもたらします。
これは、誰が一番すごいのかレースです。
こんな世の中を、マウンティングワールドと名付けてみました。
攻撃する人は、攻撃せざるを得ない人
さて、マウンティングワールドにおいて自分を「上」に位置付けられない人はどうなるのでしょう。
大きく分けると二通りのタイプに分けられます。
まず一つは、自信がない故に自分の世界に閉じこもってしまうタイプ。
自信がない故にありのままの姿を世界に対して示すことができず、この世界に居心地の悪さを感じています。
そしてもう一つのタイプが、誰かを攻撃することによって自分が「上」に立とうとするタイプです。
これはSNSが隅々まで浸透した現代において特に顕著です。
どうして彼らが攻撃するのかというと、批判したりマウントをとることによって「私の方が上だよ」ということを示したいからです。
なぜ私の方が上だということを示したいのかというと、人間にとって自分の存在価値を実感できない状態が文字通り「死ぬ」ほど辛いからです。
基本的な欲求が一通り満たされた上にSNSなんていう批判やマウンティングのための舞台を与えられた人間は、当然そこで自分の存在を必死にアピールし始めます。
「リア充アピールウザい」なんていうのは、相手にマウントを取られたと感じるからです。
相手が自分よりも上にいこうとすることに抵抗を覚えるから、リア充投稿を嫌うわけです。
まあSNSってそもそもそのための場なんですけどね。
つまり、現代人にとって自分の存在が承認されるということは何よりもまず優先されるべき重要事項なわけです。
にも関わらず、自分の存在がなかなか世界から認められない、、、なんていう人は必要に迫られて自らをアピールし始めます。
自分を誰かに「認めさせる」ということは、攻撃です。
だって周りの人だって自分が上に立っていたいわけです。
当然、そこには競争が生まれるでしょう。
SNS上での誹謗中傷なんていうのは、その氷山の一角でしかありません。
なにもネットの中の話だけでなく、上から目線の人も、威圧的な態度の人も、陰口を言う人も、混雑した駅の構内で猪突猛進して相手にどいてもらおうとする人も、みんな本質は同じです。
みんな自分のことしか考えられない(精神的依存、幼稚な思考)上に、自分を支えられない(弱い)からこんな行動をとってしまうわけです。
つまり、攻撃される側はなにも悪くないということです。
だって攻撃する側に原因があるわけですから。
しかも、ここに書いてあるような仕組みを自覚できるような人は恥ずかしくてこんなことしません。
他人事だと思ってるあなたも、無意識にどこかで誰かを攻撃していませんか?
攻撃タイプへの対応策
ここまでで、なぜ他人を攻撃してしまう人がいるのか、わかってもらえたかと思います。
これが理解できたのであれば対処法は簡単ですよね。
無視すればいいだけです。
さっさと逃げましょう。
強い人こそ優しいものです。
弱い人こそ騒ぎます。
少年漫画でもお決まりです。
主人公や強キャラはいつも堂々としてます。
最初に出てくる雑魚キャラは大抵わーわー騒いでから瞬殺されますね。
あなたを攻撃してくる人は言ってしまえば雑魚キャラです。
かわいそうな人だなあ、と思いつつもそっとしておいてあげてください。
口車に乗って闘うことは彼らの思う壺です。
彼らは攻撃した人が傷つかないことを察知すると早々と退散していきます。
だって傷つけることによって自分を満たすことが目的なわけですから。
自分の攻撃が効かないと焦って逃げ出します。
「すごい」ことは無価値
で、ここまではいいんです。
リアルの世界において、魅力的なあなたと攻撃的な人はほとんど関わることがないので。
ここまでつらつらと述べたマインドを持って無視していればOKです。
ただ、あなたにもっと考えて欲しいのは、そもそも「すごい」ことに価値なんてないんだよということです。
誰もが「すごい」を求めて右往左往している世の中ですが、よく考えてみてください。
学歴を鼻にかけて上から目線で接してくる人、お金をたくさん持っているからって偉そうにしている人、芸能人だからって相手の地位や年収、ルックスによって態度を変える人、、、
彼らは「すごい」人かもしれませんが、決して魅力的な人ではありませんよね。
そんな人の周りに集まってくる人は、その人に魅力を感じているわけではなく、その人の持っているアクセサリーに魅力を感じているだけです。
なぜなら、「すごい」人と親しいというアピールをすることで、自分まで「すごい」人であるかのように世間にアピールできるからです。
友達や恋人が自分のためのアクセサリーでしかないという恐ろしい状況です。
そんなことよりも人として大切なのは、目の前の相手を大切にできることです。
愛を持っている人です。
家族を幸せにしたいから、お金を稼ぐわけです。
「すごい」はあくまでも結果であって、目指すべき目標ではありません。
「すごい」ことに価値を置かなくなれば、あなたの周りには人が集まってきます。
だってみんな競争で疲れているわけです。
そんな中、あなたといる時だけはその緊張感から解放されてありのままの姿を見せることができる。
上司にだけペコペコするのではなく、管理人さんやトイレを掃除してくれる人、事務の人や部下にまで、誰に対しても愛を持って接することができる人。
そんな人が好かれないわけありません。
もちろん、誰かを攻撃することで自尊心を保つなんて恥ずかしいことはしません。
ビジネスだって結局は人がやっていることです。
経済的成功だって本物の魅力を備えている人に訪れます。
現代の世の中は、「すごい」に侵されています。
みんな「すごい」中毒です。
自分のことしか考えられないという点で、ある意味幼稚化しているとも言えます。
でも本当に大切なのは、目の前の人、大切な人を大切にできる強さです。
SNSでラーメン食べたとかつぶやいている場合ではありません。
しかし逆に考えると、このような時代だからこそ、魅力を知り、魅力的な人であろうとすることには価値があります。
せっかくならあなたも、誰がすごいのかレースから降りて、自信を持って魅力的な人であって欲しいなと思います。
さて、長くなっちゃいましたが今日はここまでにします。
読んでくれてありがとうございました。
そんじゃまた!
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