才能に限界を感じた時、あなたはどちらを選択すべきなのか

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kiyosumi-shirakawa

こんにちは!

 

これからの人生このままでいいのだろうか。。

自分がやりたいことはなんなんだろう?

 

なんとなくもやもやした気持ちを抱いたまま生きていたら、あっという間に人生なんて終わっちゃいます。

 

どうすればそんな日々から抜け出せるのか、今日はそのヒントになるような話をしていければと思います。

まず結論をお話しすると、

なんでも一万時間を捧げたら一流になれるという「一万時間の法則」を信じて一つの道を進むのは危険。

どんなに努力したところで、才能の有無はレベルが上がれば上がるほどに顕著になってくる。

しかしだからといって叶わない努力が無駄なわけではない。

むしろ充実した人生を歩むために努力は不可欠。

したがってなんらかの分野において「成功」を望むのであれば、とりあえず自分が興味を持った分野における努力を重ねることで充実した人生を歩みながら才能の有無を確認し、その結果向いていないのであればさっさと次の分野を探す。

 

こんな感じです。

 

解説していきます。

 

一万時間の法則の誤謬

 

皆さんは「一万時間の法則」って知ってますか?

アメリカの著述家さんが言い出した有名なもので、要は誰だって一万時間の練習を費やしたことにおいては一流になれますよっていう法則です。

 

たとえば天才の代名詞的な存在であるモーツァルトなんかを例に挙げて、彼は幼少期から膨大な時間を音楽に捧げていたことを例に「努力は必ず報われる」という結論を導き出しているわけです。

しかしこれは誤った結論です。

なぜなら、上記の事例は「努力なしにはモーツァルトのような存在にはなれない」ということを示しているだけであって、「一万時間を費やせば誰だってモーツァルトのような存在になれる」ことは証明していないからです。

 

「一生懸命努力を重ねれば必ず夢は叶う」といった言葉には、その他大勢でしかない(と感じている)多くの人に夢と希望を与えてくれます。

大谷翔平選手を見て「僕だって頑張ればあんな風になれるんだ」と意気込んでいる少年に向かって、「努力なんて叶わないよ」とか言えませんし、もちろん叶う可能性だって大いにあります。

 

しかし現実問題として、幼少期から野球一筋だったにもかかわらずプロになれる人はほんの一握りです。

甲子園に出ることだって本当に難しいことです。

毎日軍隊のような練習を行なっても甲子園に出ることのできない選手たちもたくさんいます。

 

そんな選手たちに向かって「甲子園に行けなかったのは本人の努力が足りなかったからだ」と片付けるのは簡単なことですが、果たして本当にそうでしょうか?

 

違いますよね。

もちろん運に左右される面も多々ありますが、結局のところ一番大きいのは持って生まれた才能の有無でしょう。

どんなに頑張っても勝てない相手というのはいるものですし、それはレベルが上がれば上がるほど残酷な形で目の前に表れてきます。

 

それでは、才能がない分野における努力に意味なんてないのでしょうか?

 

もちろん、努力は大切

 

もちろんそんなことはありません。

充実した幸せな人生を送る上で努力をしない人生などあり得ません。

 

その理由は二つあります。

 

まず一つは、この世は相対性の世界だということです。

どういうことかというと、私たちが久々の休日を嬉しいと感じるのは、毎日は働いたり学校へ行ったり部活をしたりしてきたからだということです。

毎日が休みだという状態なら、「明日休みだから今日は遅くまで起きてられる!」といった解放感は訪れませんよね。

忙しい時には「毎日休みだったら良いのに」なんて思ってしまいますが、いざ本当に毎日が休みになってしまった際には「働きたい」とか「学校行きたい」とか思ってしまうのが私たちの本能です。

 

つまり、苦しいことがなければ楽しいこともないというのがこの世の法則なんですね。

 

どこを見るのかにもよりますが、努力というのは一般に苦しいものです。

しかし、努力によって苦しい状況を経験するからこそ、幸せを感じることができるわけです。

 

めちゃくちゃ辛い練習や仕事が終わったからこそ、あの達成感や解放感を感じることができるわけです。

その先に目指していた夢が叶うこともあるかもしれません。

 

相対性の世界においては、辛いことと楽しいことは常にセットです。

私たちは楽しいばかりを求めがちですが、努力によって日常に凹凸を発生させるから人生が充実するわけです。

 

このブログでは何回も言っていますが、努力しなければならないなんていうのは単なる固定観念に過ぎません。

努力できない自分に劣等感を抱くというのは、なかなか寝付けない自分はなんてダメな人間なんだと夜中に布団で嘆いているのと同じことです。

 

しかし、充実した幸せな人生を送るためには努力は不可欠です。

 

 

努力が必要な二つ目の理由、それは本気で取り組まなければそれが自分に向いているのかどうかなんてわからないということです。

 

スポーツでも勉強でも仕事でも芸術でも同じです。

とことんそれにのめり込む、真剣に取り組むからこそ面白くなってくるわけです。

そしてその過程に至って初めて、それが自分に向いているかどうかがわかってきます。

 

したがって何事にもとりあえずやってみる、そしてやるからにはとことんやってみるということが充実した人生を送る上では不可欠な姿勢になります。

 

もし、それが向いていなかったとしたら?

 

とりあえず興味を持ったことに対してとことんやってみる。

これによって人生に凹凸ができて充実感を感じつつも、どうしても超えられない壁が目の前に表れてしまった、、、

よく高校球児のドキュメンタリーなんかでもみる話ですよね。

ドラフト指名されるには今年がラストチャンス、、でもその願いは叶わなかった、、、といった状況です。

 

こんな時はどうすればいいのでしょうか?

 

答えは、さっさと次に行く、ということです。

もちろん、本人が納得するまで努力を続ければいいのですが、現実問題として諦めなければならないリミットは存在します。

そんなリミットに直面した際には、自分が活躍できる次の舞台を探すことです。

 

最初に、一万時間の法則を否定して才能の重要性を説明しました。

かといって叶わない努力が無駄なことなのではなく、努力自体が幸せな人生を送る上では重要だということも説明しました。

 

したがって私が何を言いたいのかというと、努力のレイヤーを上げていくことが大切なのだということです。

 

とりあえず自分が興味を持ったことや今やっている仕事に全力で取り組む。

その結果それが自分に向いていれば成功できるかもしれませんし、向いていないということがわかるかもしれません。

 

向いていなかった場合には、さっさと他の舞台を探すのです。

ずっと同じ場所で努力を続けるということが一つの勇気なのであれば、潔く次の舞台を探すということも大いなる英断でしょう。

そして、これまであなたが積み上げてきたその努力は、次の舞台でも必ず役に立つ時がきます。

なぜなら、一つの場所で一つのことに専念してきた人ばかりの中で多様な経験をしてきた人というのは、その存在自体に希少価値があるからです。

 

この世の中においては、辞めること、逃げることに対して無条件にバツ印を与える風潮があります。

しかし、この不確実な時代において一つのことを追求することには大きなリスクが存在します。

 

「自由自在にありのままの自分が一番輝ける場所でいきいきと生きる」

これからの時代はこんな人が最高に充実した人生を送ることができます。

 

いくらやっても楽しくないことで大した成果は出ません。

楽しいだけで周りからの評価が得られなければそれは単なる趣味です。

 

せっかくの人生、どうせなら自分が輝ける場所で生きたいですよね。

であるならば、自分の才能を生かして、その才能を伸ばしていけるような場所を探していきましょう。

辞めることも逃げることも恥じる必要はありません。

 

今日はここまでにします!

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