好き嫌いをしていこう。

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こんにちは!

 

あなたは、あの人と一緒にいる時間はお互いに気を遣って疲れちゃう、、みたいな人っていませんか?

そしてなかなか周囲の人と円滑なコミュニケーションを図ることができない自分に劣等感を感じたりしていませんか?

「嫌われたくない」と思えば思うほど、楽しくおしゃべりなんてできなくなりますよね。

でもこれは逆にいうと、嫌われてもいいと思えたのなら楽しくおしゃべりできるということです。

 

というわけで今日は「好き嫌いをしていこう」というお誘いです。

もっとわがままに生きてみませんかっていう話です。

好き嫌いをするということはありのままの自分の姿を見せるということですから、不快な人間関係は自ずからなくなっていきます。

しかも嬉しいことに、歴史上初めて「モノが余っている状態」にいる私たちにとって、「好き嫌いができる」「わがままでいられる」という資質はとても貴重なものになっています。

 

今日は、この理由について「精神的側面」と「経済的側面」から解説していきたいと思います。

 

 

自分の形を示さない人は信頼できない

 

まずは精神的側面から、好き嫌いをしていく人が幸せになる理由を説明します。

 

好き嫌いをしないということは、理性的に生きるということです。

嫌いなピーマンを食べたくないという自分の感情を押し殺して、理性を使って食べるという行為を、私たちは幼い頃から「善い」と教えられてきました。

まあたしかに理性があるからこそ人間なんだっていう側面がありますから当然のことですよね。

 

しかし、「誰とでも仲良くしましょう」と言われ続けてきた私たちは、自分の形を隠すことに慣れ過ぎてしまいました。

こと人間関係においてこの態度はあなたの魅力を半減させます。

 

なぜなら、ありのままの姿を見せてくれない人というのは信頼できないからです。

そんな人と一緒にいても楽しくありません。

私たちは、本能的に「未知」に対して恐怖を抱きます。

「本当は何を考えているのかわからないという人」は、誰にとっても不気味な存在に写ります。

まあ実際には「嫌われたくない」という気持ちからそんな態度になっているだけで恐れることはないのですが、これはもう本能的な感情なので仕方ありません。

 

それではどうすればありのままの姿を示していけるのでしょうか。

 

それは、嫌われることを受け入れることです。

嫌われないように作った(理性的な)自分がたとえ好かれても、それは本当の自分ではないのですから決して幸せになることはできない、という事実を自覚することです。

 

自分の好き嫌いを示していく以外に、人と幸せな関係を築くことなど不可能なのです。

 

「モノ」が溢れる時代において「なんでも好き」は希少価値がない

 

我が強く協調性がない。

 

このワードを聞いてあなたはどう思いますか?

もしこんな言葉を自分に向けられたら、ほとんどの人は「あ、貶された、、」と思うはずです。

まあ使う方だって良い意味でこんな言葉を使ってはいないでしょう。

就活でもこんな人はまず落とされますよね。

 

では、どうして協調性がないといけないのでしょうか?

 

それは自分をある程度殺して相手に合わせることができなければ、集団の規律が守れなくなるからです。

誰も世界の中心ではない以上、自分を変えるのではなく周囲を変えようとする人がいると困りますし、そんな人は嫌われて然るべきです。

一人一人が自分の主張を押し通そうとするだけの学校の教室を想像してみてください。

カオスです。

これはいわゆる学級崩壊です。

こんなんじゃやってられません。

 

なるほど、たしかに協調性は大切な要素ですね。

しかし、私たち日本人はこの協調性を重視するあまり大切な要素を無くしてしまいました。

 

それは、創造性です。

 

現代の日本は、一通り「モノ」が行き渡ったという点で、歴史上初めての状態にあります。

「ぼくたちに、もうモノは必要ない」とか、「手ぶらで生きる。」とか売れましたよね。

私たちは「モノと幸せが直結していない」ということに気付いてしまったわけです。

 

この状況からは様々な変化が予想されます。

モノではなくコトの時代だとか、フリーランスが主流になるとか。

 

その中でも特に大きく変わる、というか変わったのが、経済的成功を収めるために必要な資質です。

これまでの時代は、理性、論理的思考力、協調性といった、いわば「左脳的能力」が重視されてきました。

しかしいまの時代に経済的成功を収める上で重要なのは、感性、直感、我の強さといった「右脳的能力」です。

なぜなら、わがままであるからこそ自分の感情を頼りに新たな課題を発見することができるからです。

 

そもそも「モノ」が余っているということは私たちが「不足」を感じていないということですから、これはすなわち何の課題を解決すればいいのかわかっていないという状態だと言えます。

しかし私たちは、何年も学校へ通って「問題解決能力」すなわち「論理的思考力」を訓練してきました。

つまり私たちは問題が目の前に存在することを前提として、学校で一生懸命勉強をしてきたわけです。

 

そしていざ社会へ出てみると気付きます。

「何を解決すればいいんだろう?」と。

 

国家のレベルで考えると、これまでは何も考えずとも目の前にアメリカや西欧諸国といったお手本があったわけです。

当然、アメリカ人はみんな車を持っているなんて羨ましいなぁと私たちの上の世代の人々は感じたことでしょう。

不足さえあれば後は簡単です。

なぜなら、論理的思考力を発揮してアメリカの車をもっと安く、もっと良い性能で生産するための設備と人員を確保し、後は大学やMBAで培ってきたマーケティング能力によって販売すればいいだけだからです。

結果として、私たち日本人の課題を解決する能力は世界一とも呼べるレベルに達し「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれるに至りました。

 

すると何が起こったのか。

 

そう、「モノ」を一心不乱に生産したおかげで、今度は「モノ」が余ってしまったのです。

「不足」がなくなってしまったのです。

反対に、これまでずっと学校で生産され続けてきた「正解を出す能力」に長けた人は増える一方。

問題がわかってないのに、優秀な解答者ばかりいるのが現在の日本です。

 

そんな日本で求められる能力とはなんでしょうか?

 

当然、「問題を発見する能力」ですよね。

 

そして、問題を発見するためには、好き嫌いをしていくわがままな姿勢が重要になってきます。

なぜなら、既に目の前に課題がない以上、自分の思い描くビジョンを実現しようとすることで新たな課題を生み出していくしかないからです。

能動的に不足を見つけ出すということです。

 

この姿勢は「理性」を重視してきたこれまでとは真逆の姿勢です。

理性を重視するだけの人間が溢れているからこそ、「好き嫌い」といった感情に基づいて行動する人、すなわちビジョンを創り出せる人の価値が上がっていくわけです。

その上では、周囲に合わせて自分の感情の押し殺す従順さは邪魔になります。

 

この力が、創造性です。

 

例えば、スティーブ・ジョブズはApple Watchを生み出しましたが、これは綿密なマーケティングによって生まれたものでしょうか?

そんなわけありませんよね。

だってそもそもスマートウォッチ自体が存在しなかったわけですから。

いくら市場を調査したところで、存在しないモノの需要を測ることなんてできません。

つまり、ジョブズさんは「自分が作りたいモノ」「自分が作りたい未来」を作ったわけです。

「世界に求められている時計」を作ったわけではありません。

 

これって好き嫌いをしていく姿勢そのものだと思いませんか?

ある意味傲慢です。

世界が自分に合わせてくれと言わんばかりの態度です。

しかし、そんな人だからこそ「問題」が希少化し、「問題解決者」が増加している現在において価値を持ちます。

なんてったってどの企業も欲している「課題」を発見できるんですから。

「需要」を創り出せるんですから。

現代において、従順な、協調性のある、論理的思考力を持った人はもはや「優秀」ではありません。

いま「優秀」なのは、好き嫌いが激しくて、感性的で、ある意味傲慢な人です。

 

まとめ

経済的成功を果たすためにも、豊かな人間関係を築くためにもいま求められていることは「好き嫌いをしていく」ことです。

何を考えているのかわからない人が好かれることはありませんし、既に一通りの「モノ」が行き渡った上、論理的思考力が飽和状態にある現代日本において、感性を明確に世間に示すことでしか、希少化された課題は発見できません。

つまり、これからに時代は「好き嫌い」をしていく人間に富も豊かな人間関係も集中していくということです。

 

今日はここまでにします!

そんじゃまた!

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